劉邦《上》 宮城谷昌光

2015年5月20日発行

 

帯封「天下人の器とは―宮城谷昌光作家生活25周年記念作品 三国志より遡ること約400年、宿敵項羽との歴史に残る大合戦を制した男の全く新しい人間像を描き出す、傑作長篇小説の誕生!」「希代の英雄譚の新たなる序章!秦末、王朝を覆す『天子の気』を遠望した始皇帝は、その気を放つ者を殺すように命じる。配下に襲われた泗水亭長・劉邦は、九死に一生を得る。始皇帝の死後、陵墓建設のため、劉邦は百人の人夫を連れて関中に向かうことを命じられるが…。宮城谷昌光劉邦がこれほどおもしろい男とはおもわなかった』」

 

泗水亭の長に任命されて14年が経ち47歳になった劉邦には、天子の気が立ち上っていた。石公は、始皇帝から、東南に立った五彩の気を放つ者を1年以内に殺すよう命じられていた。天子の気を立てた劉邦を見つけた石公は、剣士に劉邦を斬り殺させようとした。が、寧君に劉邦は一命を救われた。寧君も劉邦に五彩の気を見たからだった。始皇帝は今年祖龍が死ぬとの予言を怖れて厄災を払うために遊行に出たが、やがて病気となり沙丘で崩じた。末子の胡亥が二世の位についた。夏候嬰は劉邦から傷を負わされたのを明らかにせず、拷問を受けても劉邦を守り続けた。劉邦は百人の人夫を引率して始皇帝陵の完成のために驪山に向かった。羊頭狗肉の樊噲は劉邦の右腕として同伴した。ところが脱走した者が出た為、劉邦は残った者を解放して一人罪を被ることにした。劉邦は自らに付き従った10名余りに盗賊のまねごとをするのを禁じた。夏候嬰と劉邦を密告し、人夫を逃走させて劉邦に罪を着せようとしたのは同一人物ではないかと樊噲は推察した。信陵君や楽毅のようになりたいと思っている劉邦が今の秦を倒せば2人を越えると尹恢は思っていた。囚らわれた劉邦の妻娥姁は釈放され、立ち昇る気の下に劉邦がいると信じて旅に出、劉邦と再会する。妻は千里眼だった。食糧が尽きた劉邦は伯夷叔斉の如く餓死を覚悟したが、時あたかも陳勝(燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや)と呉広が楚の国の再興という大計をもって挙兵し900人の叛乱を起こし、ひと月足らずで陳王と仮王となった。沛県を救うには県民の心をつかんでいる劉邦が必要だと感じた蕭何は樊噲に劉邦の説得を頼み、赦免状と県令の書簡を携えて樊噲は劉邦の下に帰った。劉邦は60名を連れて沛県に帰ろうとしたが、県令が裏切り、蕭何と曹参が劉邦の下に駆けつけた。劉邦は皆に推されて沛県の令、沛公となった。将は紀成、曹産は中涓、樊噲は舎人、御者は夏候嬰、客は蘆綰とした。劉邦は人使いの名人だった。劉邦の弟劉交も加わった。初戦は勝利した。