私の履歴書 荻原 井泉水(俳人) 日本経済新聞社 文化人1

昭和58年10月5日1版1刷 昭和60年3月20日1版3刷

 

延命地蔵のお告げ

②乳とともに酒も

③生運説による俳号

④十六歳の“国学論者”

⑤十九歳で俳句作家

⑥「ゲエテ対談」訳を出版

⑦「層雲」創刊

⑧自由律提唱

⑨大震災で無情を痛感

奥の細道芭蕉探究

⑪“一茶発見”-40年の研究

⑫東山剣宮の庵居

⑬観音霊場巡礼

⑭国詩運動のころ

⑮「随処に主となる」

⑯「井泉水時七十一」

 

明治17年6月16日東京芝区雑貨商の2男生まれ。一高に入り、鳩山秀夫や穂積重遠には到底かなわないことを知った。一高で一高俳句会を起した。ドイツ語で落第し俳書を焼いた。3年に進む時、法科から文科に転じた。明治44年に「層雲」を創刊した。大正2年に出版した「俳句提唱」の中で俳句文学という意識を俳句芸術という意識にまで高めた。大学卒業後、東洋生命保険会社(朝日生命保険の前身)に入り、後、朝鮮海上保険会社の支配人となった。大正の終わりから西国三十三所の観音霊場を巡拝した。小豆島八十八か所の遍路の後、昭和12年アメリカ外遊後に四国八十八か所巡拝をした。「国詩」という新しいジャンルが東京日日新聞の社会部により企画された。が実を結ばなかった。若山牧水の「詩歌時代」に協力を求められて協力したが、此れも身を結ばなかった。北斎の如く転々とした。「層雲」の標語は「自然-自性-自由」という3つの「自」。個人雑誌「随」の標語は「生長-長寿-寿福」。(昭和51年5月20日死去)