私の履歴書 松尾静磨(日本航空社長) 日本経済新聞社 経済人5

昭和55年8月4日1版1刷 昭和58年10月24日1版8刷

 

松浦川上流の若木村に生まれる

②ラッパで起床、真冬もハダシで整列

③テニスで養った不屈の闘志

④父の苦言で娘のいる下宿を退散

⑤新婚十日、愛妻を残して入営

⑥のんびりした蔚山飛行場長時代

⑦伊丹飛行場の建設に全力をそそぐ

⑧民間航空育ての親・アーレン大佐

⑨“家庭第一”が私の主義

⑩民間航空再開へ、外資断わる

 

明治36年2月17日佐賀県生まれ。佐賀中に進み、九大機械工学を卒業後、日本瓦斯電気株式会社に就職。飛行機のエンジン設計をやった。兵隊を務めた後、朝鮮総督府に検査官として赴任。大邸飛行場長に任命された後、事件が起きた。妻の入院中、大阪飛行場長の転任命令を受け、伊丹空港の民間飛行場を作った。企画院第6部に異動後、航空局の禄をはみ、勅任航空官になった。戦後パージは免れ、航空保安部の部長となった。アーレン大佐には大変世話になり、日本の民間航空にとり彼は育ての親だった。初代航空保安庁長官となる。日本で航空会社を作る流れになり、申請が殺到したのでそれらの合同体として日本航空株式会社が誕生した。会長が藤山愛一郎さん、社長に柳田誠二郎さん、専務が私だった。7年目で赤字を解消して34年から5分の配当をした。安全運航を肝に銘じて努力しなければならないと思っている。現在ニューヨーク乗り入れに成功し、これをロンドンに結び付ければ世界一周路線が確立する。これを持っているのはパンアメリカンBOACLしかなく、Aクラス入りを念願している。(昭和46年日本航空会長。47年12月31日死去)