花神(四) 司馬遼太郎

昭和47年7月25日発行 昭和53年3月5日26刷

 

長州人は正義好きである。鳥羽伏見の戦いでは兵力の差から薩長に勝目はなかった。が薩長が勝利すると、勝てば官軍の言葉通り、薩長は官軍になった。西郷と勝海舟が会談し、江戸城総攻撃は中止となった。勝は江戸に集まった軍事的エネルギーを散らすことが急務だと考えていた。新撰組の近藤には甲州百万石はただ取りではないかと囁き、榎本武揚には北海道を吹き込んだ。渋沢成一郎を頭取、天野八郎を副頭取として彰義隊が発足したが、すぐに江戸を守る天野と日光に行く渋沢に分裂した。この頃、蔵六は軍政上の最高職の軍防事務局判事に昇任した。覚王院義観は彰義隊の理論的指導者になった。幕府軍は大島圭介を大将とし、土方歳三を副将とし、長州藩には、なお百万両が残っていた。蔵六は着任早々、勝や彰義隊の江戸治安についての法的地位を消滅させた。佐賀藩に士籍を持つ大隈重信は新政府では外国事務局判事をつとめたが、現実主義的立場にあり、西郷を無能人と見、蔵六を英雄豪傑と見た。蔵六は過去の江戸の大火の歴史を調べ、火を一切出さない作戦計画を立てた。梅雨期に入りつつあるタイミングで、一任を取り付けて、攻撃日時を明らかにすることなく、前哨陣地を捨て上野の山に入るよう巧みに誘導し、佐賀藩のアームストロング砲で主要建物を始末すると、悉く燃え上がった。賊は火を放って総退却した。一日で鎮圧した蔵六の知略に皆感じ入った。長岡藩、会津藩との戦いでも江戸で司令官として指揮を執り、反乱を制圧した。蔵六が洋式戦法を教えた山田顕義五稜郭を鎮定し凱旋すると、蔵六は豆腐2丁だけでもてなした。万年書生の馬鹿馬鹿しさに腹を立てた山田は豆腐に箸をつけなかった。蔵六は薩摩が藩革命を起こすと予言していた。西郷を尊氏の如き者とも言った。戊辰戦争が終了し兵部大輔として兵制を整えた蔵六は、平民社会にすることを軍制面から考えたため、士族階級から憎悪された。暗殺未遂事件で入院し敗血症で亡くなった。イネは蔵六が息を引き取るまで寝食も忘れて献身的に看病を続けた。中国では花咲爺を花神という。花神の力をもってしても咲かせられないのが西郷だったが、その西郷も遅れて西南戦争で歿した。