心淋し川 西條奈加

2020年9月10日第1刷発行 2021年1月30日第3刷発行

 

心淋し川

心(うら)町で生まれ育ったちほは、志野屋という仕立屋から仕事を回してもらい、父と母の生活を支える19歳だった。姉は一足先に嫁に行き家を出ていった。ちほも早く家を出て、上絵師の元吉と一緒になりたかった。ところがある日、飲んだくれの父親の荻蔵が若い男を飲み屋でぶん殴ったという知らせを茂十から聞いた。飲み屋は元吉がよく行く店だったので、急いで飲み屋に向かった。飲み屋で、ちほは、父親から元吉は止めておけと言われた。元吉は京都で修業することを決めていた。その事を兄弟子に相談し、それをたまたまそばで父親が聞き、元吉を殴ったというのが真相だった。元吉の決意を知り、ちほは、大人になった。茂十は心川の本当の名は心淋し川だと教えてくれた。志野屋の手代からちほは告白された。恋心は到底抱けそうにないが、4年もの間、針運びを見てくれた人がいるのを知って心が温かくなった。

 

閨仏

りきは六兵衛の長屋に住み始めて14年が経っていた。この家には六兵衛の妾が4人もいてりきが一番年上だった。いずれも不美人で、りきはおたふく顔だった。20歳で妾になったりきだったが、4年後、年下のつやが妾としてやってきた。ある時、六兵衛が持っていた閨の道具(張形)に小刀で地蔵顔を掘った。後日それを見た六兵衛は大喜びし、りきに何十体と彫らせた。ある時、りきは本物の仏師に出会った。仏師は、りきの彫った仏にちゃんと心が宿っていると涙を流した。仏像見学のために寺参りを始めたりきだったが、間もなく六兵衛は長屋で死んでしまった。内儀が現れ、手切れ金として一人一分ずつ渡した。仏師がりきを引き取りに来た。が、りきは仏師に断りを入れた。りきはこれからも道具を彫り続け、それで4人一緒に暮らすつもりだった。

 

はじめましょ

すべてが四文銭で片がつく『四文屋(しもんや)』は先代の稲次が始めた。与吾蔵は先代から場末の店を受け継ぎ、やり甲斐を感じていた。ある日、懐かしい歌が聞こえた。6,7歳の少女が歌う「はじめましょ」だった。与吾蔵はかつて深い仲になった仲居のるいからその歌を聞いた。るいは身籠ったが、誰の子は分からないから堕ろせと言った。るいは与呉蔵の前から姿を消した。少女はゆかと言った。ゆかは母親の名はるいではないと言った。しかし、その後もゆかと会い、ゆかの母親が仲居だと聞いた。そんなある日、ゆかを迎えに来た母親に与呉蔵は出会った。母親はやはりるいだった。れんが本名だった。卵焼きを食べさせると、ゆかは喜んだ。与呉蔵はるいとやり直しをしたかった。そんな矢先、るいが訪ねてきた。ゆかは与呉蔵の子ではなかった。赤ん坊は生まれて直ぐに亡くなり、その時に拾った子だった。茂十が「はじめましょ」の続きを教えてくれた。全てを知った与呉蔵は、正月早々に改めてゆかに会いに出かけた。

 

冬虫夏草

薬種問屋「高鶴屋」の息子富士之助は、学問に興味を全く示さず堪え性がなかった。色街に出掛けて遊び惚ける生活をしていたが、母の吉は気にしなかった。富士之助が油問屋の江季を嫁に貰うことは富士之助の世話を焼く楽しみを奪われるために反対だったが、富士之助は嫁を貰った。ところが侍から大怪我を負わせて歩けない身体になり、吉は嫁を実家に帰し、再び富士之助と二人暮らしを始めた。ところが次第に心がすさんでいく富士之助は吉に対して暴言を吐き続け、周囲の人は辟辟としていた。ある日、差配の茂十が吉を訪ねて、江季の実家が富士之助と吉の面倒を見ると言ってくれているのを伝えるが、吉はこれを断る。かつて高鶴屋に出入りしていた都賀七も吉や富士之助を援助しようと茂十を通じて申し出るが、これも吉は息子のためなら苦労とは思わないと言いながら、断る。そして吉は茂十に意味ありげな視線を向け、茂十を近寄らせなかった。

 

明けぬ里

ようは博打で借金をこさえた父親のせいで、15で姉の代わりに色街に売られた。ようの気性は激しく納得が出来ないことには誰彼となくケンカした。そんなようにも旦那が付き、夫婦となり、身籠った。ある日体調を崩したところにかつて同じ遊郭で一緒だった、一番の美貌を持つ明里に助けられた。明里は久しぶりの再会を喜んで昔話に花を咲かせた。旦那の子を身籠ったことを伝えると、明里も同じように身籠っていたが、何やららしくない態度を取った。後日、差配の茂十が明里が手代と心中したことが読売に載ったことを教えてくれた。やや子の父親は旦那ではなく手代だと思うと、ようは涙が止まらなくなった。旦那に身籠ったことを伝える決心がついた。

 

灰の男

茂十の本名は久米茂左衛門と言った。全編に唯一登場する茂十は諸色掛りの役目についた。12年に渡って心町に住んでいるが、それには理由があった。江戸を騒がせた夜盗の頭、地虫の次郎吉に息子の修之進は関心を寄せた。次郎吉に息子を殺された茂十は次郎吉の似顔絵を描かせた。次郎吉は楡爺だった。そのことにずっと囚われ、妻も亡くしていた。彼を監視するために差配となったが、楡爺がぽっくりと逝ってしまった。あれから2年経ち、ちほは志野屋の手代と祝言を挙げることになり、婚礼に茂十も呼ばれていた。