相手の身になる練習 鎌田實

2021年4月6日初版第1刷発行

 

表紙「1%でいい 誰かのために生きてみる 『人に迷惑をかけない』のは基本でも、結局みんな一人では生きられない。『相手の身になる力』をつけ、助け助けられる豊かな人生を送るための14のレッスン」

 

・「平成30年7月豪雨災害」と名付けられた災害で、西日本に甚大な被害がもたらされた。岡山県総社市倉敷市真備町では7000人以上が避難する事態に。当時、総社高校1年の光籏郁海さんは大雨特別警報が解除されたばかりの7月7日午後4時頃、市長にダイレクトメールを送った。「私たち高校生に何かできることはありませんか?」と。市長からすぐに返事があった。「あるとも。すぐに総社市役所に来て手伝ってほしい」。これに応えて友人やツイッターで呼びかけて集まった高校生は約50人。パンやお弁当を配る手伝いをした。翌8日の早朝6時、市庁舎前広場に黒山の人だかりができた。暴動が起きたと思いきや、約700人の高校生が集まった。市長は「彼らの心意気に泣けた」と語る。4日間で1700人以上集まった。気温は連日30℃以上。毎日現場に入り泥かきに明け暮れる日々。この姿を見た中学生や小学生が次第に支援の輪に加わり始める。子どもたちが変わっていく中で大人たちにも変化が。当初市長に罵声を浴びせていた住民たちが「ありがとう」と感謝の声を口にするように変わっていった。「恩送り」という言葉に出会った。「やさしさの連鎖」とも呼んでいる。

・公益財団法人「風に立つライオン基金」はさだまさしさんが設立した。被災地の南富良野朝倉市を訪ねた。避難所の体育館でさださんがコンサートを開き、著者が健康について講演するスタイルで活動した。ライオン基金総社市の避難所の一角に「みんなのライオンカフェ」を作り、小中学生の面倒をみる高校生たちの活動を支援した。ライオン基金では高校生などの若い世代のボランティア活動を応援し、年に一度、全国でボランティア活動に取り組んでいる高校生を表彰する「高校生ボランティア・アワード」を設け、2018年には総社市の高校生を東京の会場に招いた。光籏さんは「どうしたら人を笑顔にできるか、気持ちの寄り添い方を学びました。これからもずっと何らかの形でボランティア活動を続けていきたい」と話してくれた。その一方で、SNSで「偽善者」と非難され、自分が好きでやっているのだからこれでいいのだと自分に言い聞かせても、気持ちがかき乱されたという。そんなとき、著者やさださんがかけた「君のやっていることは間違いないぞ」という言葉が涙が出るほどうれしかったと話してくれた。さださんが熱心に支援活動に取り組むことになったのは、28歳の時、長江というドキュメンタリー映画を撮った時に35億円の借金をかかえ、30年かけて借金をすべて返済した。自分を信じてお金を貸してくれた人にお金も恩も返すのが責務だと考え、破産しなかった。さださんは自らの存在理由を「誰かに利用してもらうこと」と表現した。利用してもらえるぐらいの人間になるために全力で自分を磨き、最後は誰かの役に立つ人間になることを目指す。とても潔い生き方に思える。

・2017年の「寄付白書」で20代の若い人の26.1%が寄付していることがわかった。若い人たちの方が意識が高い。

・以前、諏訪中央病院看護専門学校の校長をしていた時、看護哲学の授業で、冨永房枝さん、風ちゃんを講師として招いた。彼女は生後6か月の時、風をひいて40℃以上の熱が続き、それが原因で脳性まひに。動かない両手の代わりに足を使って何でもしてしまう。授業では、足を使って、となりのトトロからバッハまで電子キーボードで演奏。足に筆を持ち、味のある絵と文字を書いてみせてくれた。そんな彼女がある学校に講演をしに行ったとき、校長から不幸にも障害を持つ身となりましたが」と紹介されると、「自分の幸せは自分で決める。校長先生が言うように、私は不幸ではありません」「体が不自由でも心は自由だ」とさらりと切り返す彼女。けれど最初からそんなに強かったわけではない。中学生ぐらいまでは障害は治ると思っていた。ところが一生障害者だと同級生に言われ、ショックを受けしばらくは死ぬことばかり考えていた。ある時、手も足も動かない同級生から、お前はいいよなあ。死にたきゃ自分で死ねるんだから。俺は誰かを人殺しにしなければ死ぬこともできないと言われ、辛いのは自分だけじゃない。いつでも死ねるなら死ぬのは最後にしよう。もうちょっと生きてみようと思ったという。「自立」とは他の支配や助けに頼らず存在することができることという意味だが、彼女も十分自立しているといえる。自立とは人の手を借りない人ではなく、人とともに生きる覚悟が出来ている人だ。

自治区に住むパレスチナの12歳の少年が、買い物に出かけた時、イスラエル兵に2発の銃弾を撃ち込まれ、1発が頭部に当たった。パレスチナの病院では助けられずイスラエルの病院へ急いで連れていったが、既に脳死状態になったが、でもまだ心臓が動いていた。ドクターは脳死を告げ、臓器移植を希望するか父親に尋ねた。父親は迷いに迷った挙げ句、臓器移植を承諾した。著者は父親を連れて移植を受けたイスラエルの12歳の少女に会いに行った。パレスチナ人がイスラエルに入ること自体、厳しい検問を通らなくてはならず、銃を突き付けられて調べられた。そんな大変怖い思いをしながら、少女の家に辿り着いた。玄関に入ると、彼の写真が飾ってあった。国同士は憎しみあっているけれど、人間としてこの家は彼に感謝し、大事に思っていた。彼女は、将来の夢を聞かれると、看護師になって、パレスチナ難民キャンプの子を助けてあげたいと語った。2年後、著者は再び父親を訪ねる。父親は宿題が半分残っている。パレスチナの子供達はまだ外で安全に遊べるようになっていない。平和な世界を築くという宿題がまだ途中だと答えた。悲しみを抱えて希望を見出す人の強さに胸が熱くなる。

認知症のケアの技法の「バリデーション」は「傾聴する」「受容する」「共感する」「誘導しない」「ごまかさない」という5つを基本にして接するというものだが、これは認知症のケアだけに留めず、身近な人間関係にも応用していけたらよいと思う。