プリズンホテル〈3〉冬 浅田次郎

2001年9月25日第1刷 2010年4月11日第30刷

 

裏表紙「阿部看護婦長、またの名を〈血まみれのマリア〉は心に決めた。温泉に行こう。雪に埋もれた山奥の一軒宿がいい…。大都会の野戦病院救命救急センターをあとに、彼女がめざしたのは―なんと我らが『プリズンホテル』。真冬の温泉宿につどうのは、いずれも事情ありのお客人。天才登山家、患者を安楽死させた医師、リストラ寸前の編集者。命への慈しみに満ちた、癒しの宿に今夜も雪が降りつもる。」

 

極道小説家木戸孝之介は山の上ホテルで恋愛小説を書いていた。そこへ丹青出版文芸部の萩原みどりという女性編集者が原稿を取りに来た。泣きながら頼まれて仕方なく承諾したが、やっぱり奥湯元あじさいホテル、通称プリズンホテルに逃げ出した。救急救命センターで自らが法律だと豪語する阿部看護婦長がプリズンホテルに訪れた。

 

一人の医師が逗留していた。名を平岡正史という。彼はガン末期患者などを扱う終末医療専門の医者だった。秋口に関東桜会の相良総長の最後を看取り、そして彼は自分の行う終末医療の何たるかを知ってしまい、安楽死という手段を患者に使ってしまう。彼は悩んでいた。相良直吉は終末医療での苦痛を取り除く麻酔投与を悉く拒み、苦痛に三ヶ月も耐えぬいた挙句に死んでいった。直吉は自分が麻薬に手を出したら子分に示しがつかない、自分を破門しなきゃらなないと言っていたが、とてつもなく強い意思で苦痛を表に出さなかった。結局自分がしていた医療行為というのは、直吉という老人に対して徹底的に苛め抜く苦痛を与えつづける行為でしかなかったという事に直吉が死ぬまで気付かなかった。そんな自分に嫌気が差していた。慈悲という名の死を与えるのもまた医者の医療行為の一部なのではないかと平岡は考えて、安楽死を実行してしまった。発作的ではなく、あくまで自分の意志でだ。自分は苦しまなければならない、直吉の分まで。安楽死の一件はすぐに露見して、大きな事件になった。世間からの目が厳しくなった頃、相良の子分をしていたここ奥湯元あじさいホテルのオーナー木戸仲蔵に誘われたのだった。