首 池波正太郎短篇ベストコレクション5 池波正太郎

2008年1月25日初版第1刷発行

 

本能寺の変の10日後に大津から近江に逃げようとした明智光秀は土民の槍にかかって腹を突刺され、家臣に介錯させ、家臣は主人の首を包んで土中に隠して坂本へ逃げたことになっていた。が土民でなく甲賀忍びの岩根小五郎が光秀を襲って馬上から落とし首を掻こうとした際に家臣に抵抗され一旦逃げた後に土中から光秀の首を発見したのである。ところがその小五郎に光秀は桜野宮内の名前で生きていると同じ忍びの助七から聞かされ、桜野の行方を追った。小五郎は桜野の行方が知りたくば三成を討てと持ち掛けられた。この徳川の狙いは三成でなく小五郎だった。ところが助七が殺された。小五郎は助七が比叡山長寿院の木の札を握りしめているのを見て、ここに桜野がいると考えた。先代の桜野宮内の二女於睦が光秀の父の愛妾となりもうけた子が桜野宮内だった。宮内は槍を馬の尻に突き刺され落馬しかけたが、間もなく息絶えた。小五郎が桜野屋敷がある坂を上りかけた時、小五郎は手裏剣に倒れた。

 

寝返り寅松

小田原城主の氏政の父氏康は氏政の食事の作法を見て氏政の代で絶えると見ていた。秀吉は氏政のいる小田原城を包囲した。寅松の父重六は山岸主膳之助に殺された。主膳之助はそのことを寅松に教え、主膳之助の娘正子の婿として認め、寅松は婿として生きる決心をした。裏切りではあったが豊臣方の作戦や甲賀の忍びの組織まで主膳之助に漏らしたわけではなかった。寅松は忍びのお万喜に、氏政が氏邦に押し切られて鉢形城の籠城作戦を止めたことを教えたが、これは主膳之助の助言に従ったものだった。氏邦に匹敵する力を持つ北条方の重臣松田憲秀の影響力で鉢形城は篭城と決した。寅松は主膳之助の命を助け、かつての仲間だった弥平次を倒した。秀吉は氏政に切腹を命じ、氏邦については本家の腰抜け共と違うと見込んで家康に身柄を引き渡した。大阪戦役で豊臣家が滅びると寅松は甲賀を離れ徳川に仕えた。忍びの中にも彼のように長生きしたものがいる。

 

やぶれ弥五兵衛

家康が将軍を秀忠に譲り、豊臣秀頼に伏見まで来るよう求めたが、断られたので、豊臣の残存勢力をせん滅する決意を固めた。その際、徳川についた加藤清正のことを気にかけた。清正は豊臣家の安泰を願っていたが、おふくろさまの存在が邪魔していた。九度山にいる真田昌幸・幸村におふくろさまの暗殺を頼む密書を送った。これを幸村は忍びの弥五兵衛に見せた。弥五兵衛の九度山への出入りを待つ忍びに重傷を負わされた弥五兵衛だったが、そこに隣家の小たまが現れて弥五兵衛を救った。小たまは弥五兵衛に気付かれず徳川の女忍びだった。弥五兵衛は清正に退転を願い出た。清正、昌幸、浅野長政ら、豊臣恩顧の優れた武将たちが次々と亡くなり、大阪戦争で弥五兵衛が再び幸村の陣所に顔を見せ、幸村と共に家康の本陣に向かった。4年後、忍びを忘れた旗本を弥五兵衛が討ち果たしたが、殺された忍びは小たまの叔父だった。乞食の男女が愛撫にふけっていたが、男は女が小たまと気付かずにいた。小たまは敗れ忍びとなった弥五兵衛に自ら顔を切り刻ませ腹を斬らせた。