恍惚の人 有吉佐和子

昭和57年5月25日発行 平成15年2月25日52刷改版

 表紙裏に「文明の発達と医学の進歩がもたらした人口の高齢化は、やがて恐るべき老人国が出現することを予告している。老いて永生きすることは果たして幸福か? 日本の老人福祉政策はこれでよいのか?―老齢化するについて幼児退行現象をおこす人間の生命の不可思議を凝視し、誰もがいずれは直面しなければならない《老い》の問題に光を投げかける。空前の大ベストセラーとなった書下ろし長編。」と。昭和57年の時点で認知症(かつて老人性痴呆といわれた)を抱える家族の大変さを浮き彫りにする力作だ。190万部以上も売れたらしい。
 ご飯を食べても食べたことを忘れてお腹が減ったと訴え、ご飯をあげないと食べさせてくれないと泣き出す。外出すると行方が分からなくなり110番して警察に捜索してもらわなければならなくなる、下の世話がある、風呂に入れて体(下半身を含め)を洗ってあげなければいけない、子供の顔が分からなくなる、子供が近づくと不審者が近づいたと大騒ぎする、夜中に起きてトイレに連れて行かなくてはいけない、何度も夜中に起こされる、子どもの顔が分からないから連れ添いが一人で面倒を見なければいけない、妄想が出現して家の中を這いつくばる、妻が亡くなったことが分からない、遂には亡くなった妻の遺骨を納めた骨壺の中から遺骨を取り出してむしゃむしゃと食べだす等々。
 認知症老人を抱えた家族、中でも老人の面倒を見なければならない嫁の目線で一貫して描かれている。同居する息子は認知症になった父親から忘れられた存在のため存在感が全くない。老人の孫も大学受験を控えて少しは協力するが、全面的に妻が面倒を見ている。法律事務所の事務職をしながら、要は仕事と介護と家事を何とか必死にこなそうとするが、嫁本人が壊れかけていく。そんなストーリー展開。最後には風呂でおぼれたことがきっかけで肺炎となり体力がガクンと落ち言葉もほとんど出なくなった老人が離れに住み、そこに若い学生夫婦が安い家賃で住んで変わりに老人の面倒をアルバイトで見てくれることになり、妻の負担がぐっと軽減される。だが、最後の最後で、老人は汚物を畳に塗りたくる。嫁は異常な臭気に目が覚め、たわしでゴシゴシ畳三枚を洗い続ける。妻からすると、本当に大変。夫からすると大変なことを妻に一手に引き受けてもらっているのでもはや家庭崩壊寸前。その妻も、いつかは自分たちが老後を迎えるのでそのことに絶えず戦々恐々としている。恐らく当時の読者には相当なインパクトをもってこの怖さを与えたのだと思う。
 ところで、この老人の主観というか、老人が主体となって何を考え何を感じているのか、そこが全く分からないのは、作者の意図的な構図なのだろうか?そこは全体を通して少し気になったところだ。