教えるということ  大村はま


1996 年 6 月 10 日第 1 刷発行 2017 年 12 月 5 日第 34 刷発行

 裏表紙に「50 年に及んで一教師として教育実践の場に立ち、退職後も新しいテーマを研究・発表しつづけている著者が、本当に“教える”ということはどういうことなのか、具体的な数々のエピソードを通して語った表題作『教えるということ』をはじめ、『教師の仕事』、『教室に魅力を』、『若いときにしておいてよかったと思うこと』を収録。プロの教師としてあるべき姿、教育に取り組む姿勢について、きびしくかつ暖かく語る。教育にかかわる人をはじめ、教育に関心をもつすべての人々、とくにこれからの社会を担う若い人々に贈る一冊。」とある。


「教えるということ」
東京女子大学の学長、私の最も尊敬する安井哲先生(当時、東京女子大学学長)が・・『大村さん、10 年間は生徒ですよ』と言って、私の肩をたたいて送りだしてくださいました」という言葉を紹介して、教師という仕事が始まった。次に、「研究の苦しみと喜びを身をもって知り、味わっている人は、いくつになっても青年であり、子どもの友であると思います。それを失ってしまったらもうだめです。いくら年が若くて、子どもをかわいいというまなざしで見たり、かわしいということばをかけたり、いっしょに遊んだりしたとしても、そんなことは、たわいもないことだと思います」と、教師をしながら研究から離れずに努力し続けてきたことを述べている。また教師が検査官となって、「読んできましたか?」という言葉は使っていけないと戒めている。同様に「一生懸命に指導したんですけど」という言い訳も単なる甘えであり禁句にすべきだとも。「あなたのお子さん、勉強が足りませんね」も同様である。子どもに敬意をもち、自分を乗り越える子どもを育てることに醍醐味を感じ、「静かにしなさい」と命じるのは教師の力不足に過ぎないことを自覚せよという。そういう意味で教室は教師が自らを律し検査場にすることなく厳しい角度を心の中深く持ちそれを暖かく柔らかい顔に表し動揺
せずに我が身を保っていってほしいと述べる。


「教師の仕事」
「教材の発見」で書かれていることは含蓄が深い。パトカーの運転手が後に個人タクシーをやると、危なくて運転ができない、なぜならパトカー時代は皆が用心して敬遠して36くれたがタクシーだと誰も遠慮がなくとうとう運転が出来なくなったという。それと似た菊池寛の「形」という短篇を紹介し、赤い陣羽織を着た槍の名人がある時赤い陣羽織を貸して自分は黒の陣羽織を着て出陣すると相手が恐れる気配もなく全力を挙げて向かってきて遂に脇腹を刺されて死んでしまうという話。この二つをつなげること、またつながるように日常的に教材を探すという職業意識に徹すること。こういう専門家の目で教師らしい熱意をもって教材を探すことを奨励している。恐らくこの姿勢は教師だけに通用する話ではなく、およそ全ての職業人に通用する話だろうと思う。

 

 

 

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