現代語で読む 野菊の墓 伊藤佐千夫 (現代語訳 城島明彦)

2012年9月初版第1刷発行

 

15歳の政夫と17歳の民子の純愛物語。幼い頃から仲良しだった2人がいつしか互いを意識するようになり、またそんな関係を世間が冷やかしの目を見るので母は二人を引き離そうとする。それでも畑での綿積みの仕事を二人にやらせる時に母は弁当を用意したりする。この時野菊が沢山咲いている中で政夫の「道理で民さんは野菊のような人だ」、「僕、野菊が大好きだ」という有名なセリフが登場する。自分たちの恋心に意識を持ち始めた二人の関係はぎこちなくなるが、かえってそのために互いに恋い焦がれていく。恋の卵がだんだん大きくなっていく。

政夫は学寮に入って勉強し、正月に帰省した時に会えると思った民子が実家に帰されてしまいなかなか会えない。2日に民子が嫁に行ったと母から告げられた時、政夫は驚かない。互いに気持ちが通じ合っていると信じ切っていたからだ。

6月になると、学校に戻った政夫に直ぐ帰れとの電報が届く。帰ると母が床に臥し、「許しておくれ、民子は死んでしまった、私が殺したようなものだ」とむせび泣く。訳を聞くと、嫌がる縁談話を民子に決断させるために母は、政夫の嫁になりたいと思っても承知しない、と民子を説き伏せ、嫁ぎ先で身重みなったものの流産し産後の肥立ちが悪く亡くなってしまう。政夫は民子の墓参りをし、民子の実家の両親から、民子の亡くなる直前、政夫の母が民子に気持ちをしっかり持つよう励ますと、民子は「私は死ぬのが本望です。死ねばそれでいいのです」といって死んでいったと聞かされる。民子は政夫の写真と手紙をくるんだ布を左手に持って死んでいった。

政夫は、母が悪気があって嫁にやったわけでもなく、私も民子も恨みに思うことはない、こうなる運命だったと思って諦める、当分毎日墓参りをすると告げる。政夫は墓の周囲一面に野菊を植えた。初七日が明けて政夫は決然として学校に向かう。

政夫は後に強いられた結婚をしても今も生きながらえている。民子は今も僕の写真と手紙を離さないでいくれるだろう、僕の心も民子から離れることは一日としてない、として終わる。

夏目漱石がこの小説を絶賛。伊藤に「自然で、淡泊で、美しくて、野趣があって結構です。あんな小説なら何百篇よんでもよろしい」と書いて手紙を送ったそうだ。

伊藤が牛乳屋をしながら歌人として活躍していた時代に書いた小説「野菊の墓」。千葉県山武市の生家の隣には「山武市歴史民族資料館」があり、そばに野菊とリンドウが植えてあるそうだ。野菊の様な人だと言われた民子は、政夫に、私、りんどうが大好きだと言い、政夫さんはりんどうのような人だったと言っていた。何とも美しく淡くて悲しい物語である。改めて初恋というものは今も昔も変わらないものなんだなあとしみじみと思った。