激動 日本左翼史 学生運動と過激派 1960⁻1972 池上彰 佐藤優

2021年12月20日第1刷発行 2022年3月7日第4刷発行

 

帯封「高揚する学生運動、泥沼化する内ゲバあさま山荘事件の衝撃。左翼の掲げた理想はなぜ『過激化』するのか。戦後左派の失敗の本質。」

 

・60年代の社会党共産党の思想的対立には、部落差別に対する両党のスタンスの違いもある。被差別部落の問題に対して社会党系の部落解放同盟は差別というものは社会・経済構造だけには還元できず、人間の心が生み出す問題でもあると主張したのに対し、共産党が傘下の全解連と共に唱えていたのが「国民的融合論」。部落問題は近世以前の封建的身分制度の遺訓、つまり名残以上のものではないので、その克服は資本主義の枠内で可能であり、社会党部落解放同盟が言う「人間の心の中に差別がある」という主張は非科学的だという批判を強めた。現在に至っては部落解放の有無を調査すること自体が差別を作り出し、解放同盟の利権になっていると批判している(99~100p)。

・1967年10月8日「第一次羽田事件」で機動隊と中核派が衝突し京大1年生の山﨑博昭君が亡くなった事件が、新左翼運動的な凄惨さを帯びていく最大のターニングポイントになった(116~117p)。ここから新左翼武装化が始まる。

安田講堂占拠事件は、医学部の研修医問題が発火点。処分を受けた17人の中に事件当日九州にいたのでその場にいられるはずがない学生が1人混じっていたことで学生の怒りを煽る結果となり、事態打開のために6月15日に講堂占拠(122p)。この時は民生対全共闘の図式で双方とも角材や鉄パイプを手に暴力的にやりあった(126p)。共産党新左翼をニセ左翼呼ばわりして忌み嫌っていた(127p)。

黒田寛一は『社会観の探求』『プロレタリア的人間の論理』で、いまを生きている我々一人一人が疎外された人間であり,真の問題はその自分が疎外されている状況にさえ気づけていないことなのだと指摘し、その気づくということはプロレタリア的な人間になること以外にないという。プロレタリア的な人間になり共産主義革命を実現することで、階級断絶を受けない、すべての人が手をつなぎ合えるような人間の在り方を回復していくことができるという社会観がある(174p)。

・行動の「中核派」、理論の「革マル派」(193p)

・斎藤浩平『人新世の「資本論」』も、レーニンの「外部注入論」(プロレタリアートは革命の唯一の主体であるが、インテリゲンチャや職業革命家をはじめとする外部から革命意識を注入されなくては本当の意味で主体にはなれない)を強調しており、解放派社会党から派生し独立した別の系譜)の思想は現代に通じる部分もある(202p)。

・赤衛軍事件の実行犯に影響を与えた京大全共闘の滝田修の思想・影響力が、全共闘の高揚期のピークのところで運動そのものを暴力的路線に反らし、結局衰退と解体を導いた(229p)。その影響もあって各セクトが過激さを競い、赤軍派が結成され、よど号事件を起こし(232p)、連合赤軍によるリンチ殺人事件(山岳ベース事件)、あさま山荘事件が起きる(235~237p)。

同志社大学神学部学生部長の野本真也は「政治には『大人の政治』と『子供の政治』がある。・・『子供の政治』を経験しながら、様々に試行錯誤をしていくのは学生にとって必要なことだし、同志社は元々そういう経験を許容する空間だった。・・ただし民青や中核派、あるいは統一教会は違う。これは『大人の政治』、大人が自分たちの組織的目的のために子供たちを利用する政治だ。我々は教育的観点で、そうした『大人の政治』から君たちを守る義務がある」という(258p)。

 

知らないことばかり。勉強になる。