きのね[柝の音]《二》 宮尾登美子

1998年4月20日発行

 

神田明神町の料亭満開楼の令嬢亮子との縁談が決まった。山王下の新居の準備に忙しく、婚礼の式が終われば、花嫁と付添いの老女が新居にやってきた。深夜に帰ってきた雪雄だったが、お茶を一口飲むと2階へ上がる。初日を迎える日の朝だっただけに緊張感の漲る雪雄だったが、それに気づかない老女は朝食時にラジオの音量調整を間違え、いらつく雪雄は茶碗を思いっ切り外に投げ出した。その日の夜は花嫁が2階にあがると“ばかやろう”の大声が家中にひびき、花嫁の眼鏡は割れていた。花嫁と老女は加代に舵の取り方を学びに行き、言われたとおりの料理を卓袱台に並べて加代から言われたことを賑やかに告げると、雪雄は大暴れして家を飛び出していった。しばらく雪雄が家に帰ってこない。帰ると、口うるさい老女を満開楼へ戻してしまった。ある時、珍しく早く帰宅した雪雄のために時間をかけて腕によりをかけて出した料理が蛸の酢の物だったが、雪雄は蛸嫌い。雪雄との夫婦仲は全く改善せず、ある時は花嫁が雪雄の暴力に耐えかねて光乃に助けを呼び、2人は家の近くの教会に逃げ込んだ。母親に連れられて花嫁は実家に戻った。光乃は2人の破局を願っていた自らの悪逆非道に激しい自責の念に身を灼かれた。家に帰ると雪雄は一人でいた。どこに泊まったかと聞かれて答えられず雪雄はしばらく帰らないと言って出て行ってしまう。満開楼が雪雄の父親に余りの理不尽さに強い憤りを伝え、父親が付人の太郎に命じて雪雄を連れて来いと言われたことを聞く光乃だが、雪雄は勝手に出ていったのは花嫁の方で花嫁を迎えに行くなど到底受け付けない。父親の前に出ても、あの人とは合わない、暇をやってくれとしか言わない。理由なく離縁と言われた満開楼も納得しない。雪雄に一札書けというが、それには応じられないため、両者の間はしばらくこじれ続ける。圭子は2人目を出産し、雪雄は仁雀という同僚仲間を得て松竹から東宝へと移り父親から勘当される。ある時、光乃が杵の音をきのねと言い、この音に魅せられたことを雪雄に話すと、雪雄の光乃への呼び方が以降、おきのやら、きのねやらに変わった。東宝から再び松竹に戻った雪雄は宗四郎の長男だったが、求められて歌舞伎の名門松川家(市川宗家)に養子に入る。松川家を継げば、努力次第で将来どんな地位が得られるか良く判っている雪雄は積極的で、父親も息子の意欲を買った。雪雄が松川家に養子入りする時も世話係として光乃も一緒に築地の松川家に移る。舞台稽古の相手を務める光乃に雪雄は思ったセリフ回しが言えないと八つ当たりで雪乃に平手打ちを繰り返す。雪雄の当たる先は太郎と光乃しかないため太郎は堪えてくれというだけ。光乃は雪雄の心中が読めるだけに忍び続けた。間もなく千秋楽を迎えるある日、圭子の娘が亡くなり、光乃が圭子の下を訪ねると丈一も息を引き取った後だった。舞台をやり通し鶴蔵襲名を果たした雪雄だったが、疲労のため自宅療養が続いた。圭子は故郷で病院暮らしとなり、雪雄は松川家の敷地内で別宅で暮らし始めた。理由は松川家の娘と雪雄が結婚しないことにあった。太平洋戦争が始まり、召集令状が雪雄に届くと、腸チフスを発症しお務めは叶わなかった。入院先での看護が例外的に認められ、輸血が唯一の治療法と聞いて光乃は自分の血を繰り返し輸血した。雪雄は蘇生し、生きて病院を出た。雪雄に求められて母親と同じように膝枕をした光乃は喜びに打ち震えつつ、女として愛されたい気持ちも沸々と湧いた。東京空襲が激しくなりあちこち避難し、松川家の贔屓筋を頼って八王子の納屋に光乃と雪雄は二人で疎開し、“おさすりさん”というあらぬ噂を立てられた。