芹沢光治良(作家) 私の履歴書 文化人3

昭和58年11月2日1版1刷

 

①病弱だった子供のころ

②父と天理教

③貧困漁民部落の小学生時代-井戸水を飲んで昼食にする

④漁師を嫌って進学を志望-“神様どうかお金を”

⑤乾性肋膜にかかり天理教と対決

⑥代用教員をして学費を稼ぐ―一高入学

⑦東大入学-経済学部第一期生

⑧高文に合格して農商務省にはいる

⑨新妻伴いフランスに留学-異国の地で胸を病む

⑩『改造』懸賞小説に当選し作家に転向

⑪生きる-『人間の運命』完成までは!

 

明治30年5月4日沼津市生まれ。父は天理教に入信し全財産を捧げて部落を出た。小学校に入学して初めて自分が貧乏であることを知った。祖父は私を漁師にしたかったが、私は波に酔い猟師になりたくなかった。祖父は商人にさせようとしたので私は本屋がいいというが反対された。海軍の軍人から中学校の入学試験を受けろという郵便が届き、試験を受けて中学校に入学した。これは神の加護だと喜んだ。しかし村八分の生活が始まった。その軍人を父のように思い、手紙を書き、成績品を送って誠を尽くした。2年になる時は特待生となり、卒業するまで特待生を続けた。教会長から中退を促されて天理教と対決することを決めた。読書の喜びを知ると、前田千寸先生は私の目をひらいてくれた。中学を卒業し代用教員として奉職し月給を蓄えて将来の学費にする計画だった。一高の仏法科に入学して上京した。貧乏は変わらなかったが、一高と東大の学生が十数人集まってホイットマンの「草の葉」の講義を聴く会に参加する幸運に恵まれた。「失恋者の手紙」という短編小説を発表した。石川剛先生から文科に進み作家になることを勧められたが、私は富とは何ぞや貧乏とはどういうことかという命題が心にまといついており、経済学部に進んだ。友人の菊池勇夫君と一緒に勉強し高等文官試験を受けて合格し農商務省に奉職した。しかし役人のできることは大したことでないことが次第に分かり失望した。フランスへ渡り実証主義貨幣論を3年間研究した。肺結核の治療のため高原療養歳で闘病生活を送った。ヨーロッパでは人間の生命を大切にすることと人間の自由と独立を守ることを強く感じた。フランスの作家ケッセルから作家になれと勧められ励まされた。帰国後、中央大学貨幣論の講義を始めた。朝日新聞夕刊小説を書くことになり、中央大学をやめることになった。天理教を批判する小説を書き大教会から破門された。