銀漢の賦 葉室麟

2007年7月15日第1刷発行

 

2007年第14回松本清張賞

月ヶ瀬藩の家老松浦将監と竹馬の友日下部源五は、幼い頃、同じ普請組の子弟だった。互いに剣の腕を競い合い、将監は文武に秀でて役職を登り詰めた。農民の十蔵は2人と交じわり、学問に励み農民から信頼を得た。20年が経過した。将監の父は九鬼夕斎に殺され、源五は家庭を顧みず堰作りに邁進し妻を亡くした。十蔵は百姓一揆を指揮する立場となり、将監がこれを鎮圧した。源五は十蔵のために助命を嘆願したが、聞き入れられず十蔵は処刑された。源五は将監に絶交を申し出て3人の関係はバラバラになったように見えた。しかし、十蔵はかつて将監が書いてくれた蘇軾の「銀漢(天の川)」の詩を大切にし、将監に迷惑が及ばないよう将監の書き付けを十蔵に託していた。源五は十蔵の妻子を引き取り世話していた。将監の母親は九鬼夕斎の陰謀のために自害させられ、将監は親の敵だった九鬼夕斎を追い落として藩の実権を握った。源五は病で死期を迎えた将監から藩の将来のために命を賭ける将監の脱藩に協力し友情が復活した。源五は十蔵の書き付けのことを将監に伝えた。また十蔵の娘の蕗の命だけは救おうとしたが、蕗は拒んで源五の側から離れなかった。将監は松平定信に事態収拾を依頼することに成功して源五は将監の脱藩を成功させ命を絶つつもりだったが死なずに済み、将監は病で死んでいった。将監は死の直前、凛冽という言葉が相応しい山水画を書き、蘓武の「玲瓏山に登る」の漢詩を書いた。「有限を将て無窮を趁(お)うこと莫れ」。限りある身で永遠を求めることなど愚かなことだ。限りがあるからこそ命は尊いのかもしれないと思いつつ、人は一人で生きているのではない、誰かとともに生きているのだと源五は思った。