昭和58年11月2日1版1刷
①京都に生まれ名前も誕生日も二つ
②両親には縁薄く外祖父に育てられる
③小学校二年のときに東京へ移る
④樺太へ渡り豊原小学校へ通う
⑤樺太を去って三高に進む
⑥三高の学友と虚子、秋桜子のこと
⑦住友にはいり、仕事と俳句の両刀使い
⑧句会が縁で啼魚の長女と結婚
⑨住友を退き「天狼」を創刊、主宰
⑩妹たちのこと、一門のこと
・明治34年11月3日京都市生まれ。明治天皇の天長節の日のため、戸籍では11月5日、外祖父に新比古(ちかひこ)と命名されたが、戸籍では新彦となった。後日新比古に改名した。明治45年に樺太に出た。祖父から「大学」の素読を授かった。三高文科乙類、東大法学部ドイツ法律学科を卒業し大阪の住友に就職した。誓子という号は「ちかひ」に「誓」を、「こ」に「子」をあてて自分で作った。京大三高俳句会の草城、東大俳句会の秋桜子から恩を受けた。結婚後、住友病院の看護婦養成所の講師、住友林業所の庶務、本業は本社労働課の調査係、北海道と満州の出張を経験した後、昭和17年に退職し嘱託になる。戦中戦後、一日たりとも句作を怠らなかった。60歳を過ぎてから自分の好む俳句が一番正しい俳句だと思うに至った。