珍妃の井戸 浅田次郎

2005年4月15日第1刷発行 2010年9月24日第17刷発行

 

表紙裏「列強諸国に蹂躙(じゅうりん)され荒廃した清朝最末期の北京。その混乱のさなか、紫禁城の奥深くでひとりの妃が無残に命を奪われた。皇帝の寵愛を一身に受けた美しい妃は、何故、誰に殺されたのか? 犯人探しに乗り出した日英独露の高官が知った、あまりにも切ない真相とは―。『蒼穹の昴』に続く感動の中国宮廷ロマン。」

 

大英帝国のソールスベリー提督が義和団事件調査のために来華した際、舞踏会でダンスの相手ミセス・チャンから、珍妃を紫禁城内の井戸に投げ込んだ犯人を究明することに重大な意味があると聞かされた。提督はドイツ公使官シュミット大佐を訪れ、紫禁城内で珍妃が殺されたとすれば皇帝も殺されるかもしれず、そんなことがあれば外国人は一人残らず殺され、それが飛び火してヨーロッパでも殺戮が起きると述べた。新聞記者バートンは宦官で盲目の蘭琴(ランチン)に聞いてみると良いと教え、蘭琴は袁世凱が珍妃に横恋慕したが断られたので殺したのではないかと言う。袁世凱は横恋慕を否定し、珍妃の側には西太后・光緒帝・皇后・瑾妃(チンフェイ)や先帝同治帝の妃嬪-瑜貴妃・珣貴妃・瑨貴妃の未亡人三方がいたが、西安に逃げる際に珍妃を連れていくかで言い争いになり、瑾妃は「言い争うまでもない、殺せ」と栄禄将軍に命じて井戸の口から珍妃を落としたと言う。瑾妃はそれは袁世凱の嘘で、そう言ったのはぶすの隆裕皇后で、李蓮英が井戸に投げ入れた、劉四老爺は隆裕皇后に止めるよう頼んだが聞き入れて貰えなかったと言う。劉四老爺は、瑾妃は隆裕皇后を嫌っており犯人になれば死刑になるから瑾妃が嘘をついていると言う。みな自分に都合の悪いものを犯人にしようとしていた。そして劉四老爺は犯人は義和団頭目で先帝のいとこ端郡王載漪だと言い、ある日載漪が息子溥儁を連れて西太后を訪れ、溥儁に『大阿哥』の称号が与えられると溥儁は手当たり次第に女を襲い、珍妃を西安に連れて行く時も愛されている光緒帝と幸せに暮らすのが許せず、珍妃を井戸に落としたと言う。載漪(プージュン)は珍妃が自殺した、春児が珍妃は西太后より死を賜ったと述べたと言う。鎮国公載沢は光緒帝を亡命させて欲しいと言う。光緒帝を亡命させる代わりに珍妃変死事件の真相を聞くために謁見することになった。提督・大佐・ペトロヴィッチ公爵・松平忠永子爵の4人の貴族は皇帝と謁見し、珍妃の身の上に起きた話を聞いた。すると皇帝は、あの場にいた皆が珍妃を助けようとしたが、4人が珍妃を担ぎ上げて井戸に落としたのだと言う。最後に珍妃が自ら真相を語る。洋人はアヘンを持ち込んだが、皇帝に愛された自分が死ぬことで洋人に重大なことを気付かせたいと。