民法と50年 我妻栄 「井戸を掘れー卒業生諸君へ」

緑会雑誌14号所収(昭和17年

「諸君は、卒業後は官庁や銀行・会社や、その他色々の方面に就職されるだろう。しかし、その何れの方面に行かれるにしても、その最初に担当する職務に関連して何か一つの問題を選んで、それを徹底的に研究することに努められたい。その問題について納得のゆくまで研究し、その問題についての権威者になる覚悟で勉強せられることを切に希望する。」

私共のように大学で講義をしている者は、その講義をする広い領域の総てに亘る知識を必要とするが、同時にまた、要所要所について深い研究を遂げていなければならない。私はそれをよく、池を作ることと井戸を掘ることに譬える。民法の第1条から第1146条までの条文をことごとく講義することは、池を作るようなものである。この広い池に隈なく水を湛えるには、先輩や同学の掘った井戸の水を借りてくるより他はない、そのすべての部分に自分の研究による井戸から湧出する水で事を足らしめることは到底不可能である。しかし、それと同時に、少なくとも要所要所には独力で掘り下げた井戸があって、そこから湧出する独特の水が滾々と湧き出ているのでなければならない。井戸だけ掘って池を作らないものは教授たる資格はない。しかし、池だけ作って井戸を掘らないものは大学教授たる資格がない。


・・井戸を掘らずに、先輩の水を貰って来て浅い池で事を処理する癖がついたら、もう井戸を掘ることはできなくなる。私が「卒業後当面する最初の事柄に関連して何か一つの問題を選んで、納得のゆくまで徹底的に研究するように努力されたい」という選別を与える理由は、全くここに存するのである。


含蓄深い言葉です。これから後輩に語る時に、このフレーズは使わせてもらいたいと思います。自分の実感からしても、確かな道理だと思います。