アトラス伝説《下》 井出孫六

1998年4月20日発行

 

明治14年5月2日、陸軍省参謀本部測地課長の洋風画家冬崖(とうがい)・川上万之丞が急逝した。川上冬崖は、江戸時代,幕府設置の蕃書調所で学び、当時、下谷和泉橋徒町の構内に無辺春色画屋と呼ばれるアトリエと聴香読画館という名の私塾をあわせ建て、聴香読画館は泰西の画法のメッカと見られていた。巡幸陪従の名簿の末尾に加えられ、今も紫宸殿の壁に飾られている「鳳輦(ほうれん)の図」を始めとして、蝦夷地の写景に対して褒賞され、測地課長の椅子が与えられた人物であった。その川上に、測地課文庫から横須賀測量関係資料が紛失した責任問題が浮上し、かつ北海道測量関係資料漏洩の件まで取り沙汰され、測地課の士気の弛緩に起因する問題があると山県有朋は臨時幕僚会議で諮った。その端緒は九鬼隆一なる文部技官が山県邸に訪れ、紛失した横須賀測量関係資料を持参し、洋風画壇の徒を一掃することを忠言してきたことにあった。自宅謹慎が命じられた川上は療養のために熱海に出掛けていたが、散策中に何者かに喉を斬られて殺害された。ところが朝野新聞は当局の発表に依拠して「逆上の気味に折々怪しきことあった」とあいまいな描写が記され、鷗外の『西周伝』には狂を発して死に走ったとされていた。師の知らせを受けて熱海に弟子がかけつけた時には遺体は既に荼毘に付されていた。多くのデッサンが遺されていたが、その中にはギリシア語で「ゼウスに敗れたアトラス」とあった。弟子の眼にはアトラスの眼は怒りに燃えていた。

 

自殺?他殺?史実としては自殺として扱われているが、本当は謀殺されたのではないか?ということを訴えようとしているのであろうか。巻末の夏堀正元の解説には、幕末から明治期を主題とした多くの歴史小説について、「国家という黒枠つきの歴史小説である」とかつて夏堀は表現したことがあると述べているが、それを暗示している。