五瓣の椿《上》 山本周五郎

1992年9月10日発行

 

序章

天保5年正月に亀戸天神に近い白河端の薬種商「むさし屋」の寮が自火で焼け、主人喜兵衛、妻おその、娘おしのが亡くなった。男女の区別がつかなかったが、はっきりした事情は不明のまま、死体は親子3人のものときまり葬式が行われた。

 

第1話

喜兵衛は婿養子に入って以来18年間、仕事一筋で働いてきたが労咳に侵された。おそのは夫を避けて寮に移り住んでいた。おそのは、おしのから危篤状態にある喜兵衛を見舞ってほしいと頼まれて見舞いに行く約束をしたのにいとも簡単に反故にして若い役者と箱根に行った。酔って戻ってきた時、喜兵衛は既に亡くなっていた。喜兵衛は生きているうちに一言言っておきたいことがあると言っておそののいる家に運ばれてきたが、途中で息絶えて死んでしまった。おそのは死体の側にいるのは嫌だといい、おしのに、お前は喜兵衛の子ではないから悲しむことはないとの驚くべき話をした。おしのは、汚れた母とその母の血を継いだ自分も汚れていると身震いして、実の子でない自分を愛情込めて育ててくれた喜兵衛の恩を知り、母に、喜兵衛を苦しめた男たちに、罪を償わしてやると誓い、母と役者が酒を飲み眠った姿を見降ろしながら、火を放ち立ち去った。

 

第2話

蝶大夫は六助を使って、仲次郎の三味線の腕を嫉妬して、二度と弾けなくなるよう仲次郎の腕をへし折った。蝶大夫はおそのとは芸人とごひいきとの関係で逢っていた。蝶太夫とおりうがいるところに六助が現れて、今度は蝶太夫の腕をへし折ろうとした。金で解決して六助がいなくなると、蝶大夫はおりうに襲い掛かったが、蝶大夫は左乳の下に平打の銀の釵が打ち込まれて殺されてしまう。枕元には一片の椿の花びらが落ちていた。おりうという娘の身許も行方も知れなかった。

 

第3話

海野徳石というもぐりの医師は、医療行為と偽って、女性を次々に慰みものにしていた。おくに、おかねは、徳石から、いつかは女房にしてやると言われながら、女中同然、妾同然の生活を送り、ある日同時に徳石に咬みついた。おそのもその一人だった。徳石は、今、おみのに逆上せ上っていた。が、ある時、二目と見られる程に殴られた。そんな時、おみのに呼ばれて、散々飲まされ、おそのとのことも詳しくべらべらと喋りつづけた。徳石の左胸の乳の下には銀の平打の釵が突き刺さり殺された。枕元に椿の花片が一枚落ちていた。