家なき子 エクトル・マロ作 波多野未記訳

1994年3月23日第1刷発行 2010年10月6日第14刷発行

 

1878年の作品。今から150年近くも前の作品です。安達祐実さんの例のセリフが有名ですが、原作って、そういえば読んだことがないなと思い、今回、読んでみました。

冒頭の場面。主人公のレミは、バターとミルクがたっぷり入ったお母さんの手作りのパンケーキが久しぶりに食べられるのを楽しみにしていたところ、長年家を空けていたお父さんが突如かえって来て、スープに全部使ってしまい、がっかりします。その後、父と母が口論している話が耳に入ってしまい、実は捨て子だったことを知ります。父は動物を連れて旅する芸人の一座にレミに引き渡し、大好きなお母さんと離れ離れに。これが不幸の始まり。それでも座長のビリタスがとても良いおじさんでレミに優しく接してくれるので、レミも少しずつ芸を覚え、字も習い、成長していくのですが、ある時、ふとしたことからビリタスが捕まってしまいます。その最中、レミは豪華な船で旅をしていたミリガン夫人とアーサーの前で、犬たちにダンスをさせたり、本を読んだりしてあげて仲良くなります。2か月後にビリタスが釈放されると、ミリガン夫人とアーサーと別れて再び旅に出ますが、吹雪の中に迷い込み、ビリタスはレミに生き残った一匹の犬を抱かせて自分は凍えて死んでしまいます。不幸が続きます。独りぼっちになったレミは、花づくりをしていたリーズや兄弟とそのお父さんの下でしばらく暮らしますが、リーズのお父さんは異常気象のせいで温室を失い、借金が返せずに牢やに入れられてしまい、レミは再び一人旅に出ます。途中、同じ境遇で一人旅を続けていたマチアと出会い、炭鉱で働いた後、育てのお母さんに会いたくて家に戻り、再会を果たします。そして本当のお父さんの話を聞き、実のお母さんを探すと、実はミリガン夫人だったことが分かります。そしてリーズ、マチアとも再会でき、ミリガン夫人やアーサーとも一緒に暮らすことが出来たという、パッピーエンドで終わります。

 

不幸な境遇にあったとしてもめげない、いつもひたむきに自分の出来ることを頑張る、そうした人を神は見放すことはしない。結局、どんな不幸が出来事があったとしても、自分次第で、自分の心の持ち方次第で、良くも悪くもなっていく。そんな当たり前のことを、大人も子どもも、今一度学び直す必要があるように思います。

確かに昨今のコロナ禍で、どこもかしこも売上激減です。私も同じです。給料の半分カットを覚悟し、更に借入すら覚悟しなければならないとはこれまでからすると考えられないことです。でもそこまで追い詰められてきているわけです。その苦しみをよそに、自分勝手なことをしている人がいたら、それは厳しく指摘して改めて貰う必要があります。たとえそれがいばっている人であっても。若気の至りであったとしても。

そういう中で多くの人びとは苦しみながら苦しみをこらえながら頑張っているのだと思います。この小説を読んでそんなことを感じる一時でした。