草原の風《中》 宮城谷昌光

2013年10月25日初版発行

 

帯封「中国史上燦然と輝く明軍、光武帝・劉秀の後漢建国の物語 世の腥風を嫌い、あえて土ばかりを見てきたが。家と一族の存亡を賭け、王莽の暴政に対して挙兵した劉秀。常識の裏を突く天才的な戦術で、幾多の困難な闘いに勝利してゆく-」

裏表紙「王莽の暴政に耐えかねた兄とともに挙兵した劉秀。次兄、姉ら、肉親を喪いながらも、官軍との熾烈な戦いを重ねる。鮮やかな戦いぶりと、その叡智に引き寄せられるように、劉秀のまわりには多くの武将、知将が集まり始め…。古代中国の精華・後漢を建国した名君、光武帝・劉秀の天下統一の戦いの日々を描く!」

 

劉秀の兄劉縯が挙兵し、劉秀は行動を共にした。初戦の小長安での戦いで、叛乱軍は大敗した。劉秀の姉の劉元と3人の娘、叔父の劉良の妻子、次兄の劉仲が殺された。劉秀は陰麗華を妻にするまでは死ぬ訳にはいかなかった。その後官軍を破り、革命軍に加わる兵が増えていった。賊将らは、劉秀の兄の反対を押し切り、劉玄を皇帝・天子に立てた(更始帝)。昆陽の城を官の百万軍が囲んだ。対する劉秀の軍は一万の兵に満たない。寡兵で劉秀は十万の軍を大破した。後続の九十万の官兵は大敗を知り逃げた。宛城は劉秀の兄が落とした。項羽の鴻門の会の轍を踏まないよう、王匡(おうきょう)は李軼(りいつ)と朱鮪(しゅい)と謀り、劉苑を殺した。劉秀は単身で宛に乗り込み、兄の不敬を詫びて謝罪することで、死地を脱した。劉秀は陰麗華を妻に迎えた。王莽の首は斬り落とされ更始帝に届けられた。洛陽を落した王匡は更始帝を洛陽に迎え、洛陽は首都に定められた。劉秀は北方平定のため大司馬を兼任した。王郎が劉子輿を騙ったが、劉秀は冀州全体が危地となったため逃亡した。騎都尉となった耿純は劉秀に面謁すると百年に一人と英雄と見て劉秀に従うことに決めた。劉秀が冀州に入ったことを聞いて追うと、劉秀軍に遭遇し、天祐と叫びたくなった。