2023-11-01から1ヶ月間の記事一覧

ハルビンからの手紙 日本は中国でなにをしたかⅢ 早乙女勝元編

1990年7月11日初版発行 目次 旅立ち前の手紙 ハルビンからの手紙 平房からの手紙 長春行き列車からの手紙 瀋陽からの手紙 撫順からの手紙 終わらない手紙 ・ハルビンの市街地は、中国東北地方の都市のなかで、もっとも異国風といわれる。帝制ロシアの頃、ロ…

呉越春秋 湖底の城7巻 宮城谷昌光

2016年9月27日第1刷発行 帯封「その男、范蠡(はんれい)- 越王句践(こうせん)にも“ある男”がいた。知られざる、古代中国の血湧き肉躍る物語。」「謎多き人物、范蠡(はんれい)。ついに彼の物語が始まる。待望の第七巻! 楚の出身である范蠡は12歳の時、…

呉越春秋 湖底の城6巻 宮城谷昌光

2015年9月16日第1刷発行 帯封「復讎せん! 遂に呉と楚の戦いが始まった。伍子胥の積年の願いは叶えられるのか。知られざる、古代中国の血湧き肉躍る物語。」「呉と楚、互いの命運をかけた戦いの火ぶたがついに切られた。待望の第六巻! 孫武を迎え入れた呉は…

呉越春秋 湖底の城4巻 宮城谷昌光

2012年7月26日第1刷発行 帯封「戦いの時!復讎に燃える伍子胥は、参謀として楚との戦いに臨む。『三国志』より六百年前、心躍る物語。」「伍子胥の敵は、楚王だけではない。待望の第四巻! 楚王を伐つ。これが伍子胥の生涯の主題である。祖国を追われた子胥…

呉越春秋 湖底の城3巻 宮城谷昌光

2012年7月26日第1刷発行 子胥らは、父伍奢と兄伍尚を救うべく刑場に向かうが、費無極が待ち構えており、成就しなかった。何者かが子胥らを窮状から救った。宋へ向かう途中、宋の公子子城と出会う。楚の太子建(子木)は宋から内乱のために去り、鄭へ向かって…

呉越春秋 湖底の城2巻 宮城谷昌光

2011年7月26日第1刷発行 帯封「戦うために生きるのではない。生きるために戦うのだ。奸臣・費無極が、父と兄を処刑する前夜、伍子胥は、楚の都に潜入する。希望はあるのか。」「楚は内憂外患に激動する。待望の第二巻! 楚の人、伍子胥は、呉との国境近くの…

呉越春秋 湖底の城1巻 宮城谷昌光

2010年7月26日第1刷発行 帯封「春秋から戦国へ、中国史上もっとも苛烈な時代に若き伍子胥(ごししょ)は己れの道をもとめた!「三国志」の時代から遡ること600年あまり、ついに、あの呉越の人間ドラマが小説化!」「江水流域を舞台に描く、中国歴史小説の新…

長城のかげ《下》 宮城谷昌光

2010年11月20日発行 風の消長 劉肥は、後年、父の劉邦が竹の皮の冠を頭につけ、微風にむかって手をひろげ、「どうだ、皇帝のようだろう」と豊かな声を放った情景を繰り返し憶い出した。劉肥の目には、実際、父が皇帝のように美しくみえた。父が泗水亭の長に…

長城のかげ《上》 宮城谷昌光

2010年11月20日発行 逃げる 季布は四面から楚の歌が湧き上がってくるのはなぜであろうと不思議に思った。黥布だけでなく、周殷までもが裏切った。季布は項羽が生きつづければ必ず天下を平定し、帝位にのぼれると信じていた。その項羽が突然李布に逃げると伝…

随想 春夏秋冬 宮城谷昌光

2021年11月20日発行 ・とても読みやすくて面白い。1時間程度でスーと読めてしまう。古代の中国の歴史小説をメインに書いてこられた著者がいかにして青年時代を過ごしてきたのかがよくわかる。その中でも、漢字に対する鋭い感覚がどのようにして培われてきた…

重慶からの手紙 日本は中国でなにをしたかⅡ 早乙女勝元編

1989年9月27日初版発行 表紙裏「推せんのことば-藤原彰(女子栄養大学教授) 第二次大戦中のアメリカ軍のB二九による東京をはじめとする日本の諸都市にたいする空襲は、非戦闘員である一般国民を殺傷して、その戦意を喪失させることをねらったものであった…

奇貨居くべし5 天命篇 宮城谷昌光

2002年4月25日初版発行 裏表紙「秦の始皇帝の父ともいわれる呂不韋。一商人から宰相にまでのぼりつめたその波瀾の生涯を描く。商賈の道を捨て、荘襄王とともに、理想の政体の実現に向けて、秦の政治改革に奔走する呂不韋だが…。宮城谷文学の精髄・全5巻完結…

奇貨居くべし4 飛翔篇 宮城谷昌光

2002年3月25日初版発行 裏表紙「秦の始皇帝の父ともいわれる呂不韋。一商人から宰相にまでのぼりつめたその波瀾の生涯を描く。濮陽で、いよいよ賈人として立つ呂不韋。趙でとらわれの身となっていた公子・異人をたすけ、大国・秦の政治の中枢に食い込むため…

奇貨居くべし3 黄河篇 宮城谷昌光

2002年3月25日初版発行 裏表紙「秦の始皇帝の父ともいわれる政商・呂不韋の波瀾の生涯を描く。孟嘗君亡きあと、不韋は、謀略に満ちた慈光苑のひとびとを助けながら、買人として立つ準備をすすめる。道学や儒学といった学問だけではなく、農業をも通して、新…

奇貨居くべし2 火雲篇 宮城谷昌光

2002年2月25日初版発行 裏表紙「秦の始皇帝の父ともいわれる呂不韋。一商人から宰相にまでのぼりつめたその波瀾の生涯を描く。生家を出て、韓、魏、趙、秦、楚と旅を続ける呂不韋。「和氏の璧」の事件を経て、藺相如、孫子、孟嘗君ら乱世の英俊と出会い、精…

奇貨居くべし1 春風篇 宮城谷昌光

1997年6月10日初版発行 韓の商人の息子呂不韋(りょふい)15歳は、父に言われて、従者鮮乙(せんいつ)と山師彭存(ほうそん)とともに旅に出た。時は韓と秦が連合して斉を攻めていた。旅の途中に水底の石が光を放っている川があった。光の正体は銅だ。その…

南京からの手紙 日本は中国でなにをしたかⅠ 早乙女勝元編

1989年9月27日初版 目次 上海からの手紙 南京からの手紙 再び南京からの手紙 証言からの手紙 眠れぬ夜の手紙 北京からの手紙 あとがき さらにひとこと ・日中戦争開始(1931年)から太平洋戦争終結(1945年)までの戦争の大ざっぱな経過 第一段階=「満州事…

台所太平記 谷崎潤一郎

1989年4月10日発行 千倉磊吉は京都に家を、熱海に別荘を持っていた。今でいうお手伝いさん、当時は「女中」と呼んでいた女性を何人も雇っていた。鹿児島出身の「初」は不器量だったが愛嬌があった。身綺麗でたしなみがよく、姉御肌で他の女中たちの面倒見も…

故郷忘じがたく候 司馬遼太郎

2020年5月20日発行 故郷忘じがたく候 鹿児島の苗代川を訪ねた著者が「沈寿官」の標札がかかる家を訪ねた。秀吉の朝鮮出兵の際に朝鮮人陶工が日本へ連行され、彼らが住み着いた場所が苗代川だった。薩摩藩は、幕末、この地に大規模な白磁工場をつくり、12代沈…

辰巳八景《下》 山本一力

2011年5月20日発行 佃島の晴嵐 深川で暮らす永代寺門前仲町の町医者新田正純は、父清三郎の「医は仁術」の教えを忠実に受け継ぎだ。ある夏、川遊びをしている時に妻ききょうを亡くすと、大井川に橋をかけることを決めた。以前の大火事で橋がなかったために人…

辰巳八景《上》 山本一力

2011年5月20日発行 永代橋帰帆 佐賀町河岸ろうそく問屋の4代目の大洲屋茂助は、昨年12月の赤穂浪士の吉良邸討ち入りに喝采している江戸町民の姿を見て、公儀に逆らったのに義士扱いされるのに納得がいかなった。永代橋の材木は伊予藩の杉が大量に買い付けら…

花の歳月 宮城谷昌光

2015年6月10日発行 猗房(いぼう)の家に一人の老人、郷父老(きょうふろう)が訪ねてきた。里がまとまると郷になり、郷がまとまると県に、里は戸がまとまると里と呼ばれた。皇室が全国から名家の子女を集め、皇宮で養成することになり、県として一人選んで…

20世紀の戦争 日中戦争Ⅱ 解説:荒井真一

2001年3月15日初版発行 目次 一章 重慶爆撃 二章 中国全土に広がる戦火 三章 中国軍の反攻と在中アメリカ軍 四章 日本の降伏と中国の民衆 解説 ・1937年12月、中国の首都南京は日本軍の手に落ち、国民政府は首都を重慶に移した。この時から重慶は中国の自由…

青雲はるかに《下》(その2) 宮城谷昌光

平成19年4月1日発行 須賈は范雎が秦の宰相と知って驚愕した。范雎に会えなければ、昭襄王にも会えず、生きて秦国を出られない。范雎は須賈を釈して魏へ返したが、魏斉の首を持って来なかったら、大梁を全滅させると脅した。魏斉には如何なる容赦もしなか…

青雲はるかに《下》 宮城谷昌光

平成19年4月1日発行 裏表紙「猛将白起率いる秦軍は、領土を拡大するも宣太后らの私有地が増えるばかりであった。范雎は秦の昭襄王への謁見が叶い、天下の秘策「遠交近攻」を献じ、信任を得る。宰相となった范雎は、政争の芽を的確に摘み、韓・魏・趙など…

青雲はるかに《上》(その2) 宮城谷昌光

平成19年4月1日発行 何介(かかい)が厠室から范雎を救い出したため、魏斉が范雎の死体を探索するものの見当たらなかった。魏斉は王が病に倒れたということが斉に漏れることを恐れていた。范雎はその後原声に助けられて原声の手伝いをしていた夏鈴に看病…

青雲はるかに《上》 宮城谷昌光

平成19年4月1日発行 裏表紙「戦国時代末期。大望を抱く才気煥発の青年説客、范雎(はんしょ)は無二の親友鄭安平(ていあんぺい)の妹の病を治すべく、悪名高い魏斉(魏の宰相)の奸臣須賈(しゅか)に仕えた。范雎の襄王への謁見が誤解を生み、魏斉の宴…

反骨《下》鈴木東民の生涯 鎌田慧

2012年12月10日発行 40歳で読売新聞に再就職し、戦後日本の最初の争議、正力と東民がはじまる。第1次争議が解決したのは1945年12月11日。組合側が正力たち経営派に勝利した。解雇は撤回され、解雇を言い渡した正力は戦犯として拘置所に収容された。東民は編…

反骨《中》鈴木東民の生涯 鎌田慧

2012年12月10日発行 大阪朝日新聞に入社した鈴木は、京都支局で1年、大阪本社整理部2年の後に退社してドイツに出発。選抜されてのドイツ行きだった。ヒトラーを批判する原稿を書いた。 ナチスが共産主義者を襲ったとき わたしはすこし不安になった けれども…

反骨《上》鈴木東民の生涯 鎌田慧

2012年12月10日発行 東民が中学2、3年の頃、幸徳秋水らの『大逆事件』が起こり、この事件は東民の思想に強い影響を与えた。東民が社会主義を知り、それを自分の思想の道標とし、生涯の伴侶と思い定めるに至った契機がこの『大逆事件』だった。東民は、第二…